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I am Filmmaker!

こんにちは! 今日は、私 Hero Mori のこれからについてお話しします。


いきなりですが、昨日に続いて宣言があります!

わたし Hero Mori は、これからは Filmmaker / フィルムメーカーとして活動します!


「... あれ? モリって監督じゃないの?」「いやいや、フィルムメーカーって何?」と思ったかもしれません。

このような宣言に至った経緯を、これからお話ししますね。



映像のつくり手としての、これまでの私


2012年、本格的に映像づくりに目醒めた私は、2013年に地元・九州を離れて東京藝術大学大学院へ進学様々なメディアを用いた映像表現について学び、地元・久留米と横浜ベイエリアを往復しながら、短編映画シリーズ「MORIFILM」を製作・研究しました。


2015年に大学院を修了し、フリーの映像ディレクターとして仕事を開始。知り合いの紹介を頼りに、主にWEB広告映像の撮影編集の仕事を受けながら、様々な映像の企画演出にチャレンジしてきました。


2016年にはNHK Eテレ「0655/2355」で主演・監督、そして全国放送デビュー! "さらばシリーズ" と題したコンテンツは、その後3年間で6作公開され、新聞や雑誌などにも取り上げられ、音楽配信サイト各種でリリースされ、年末年始の年越し特別番組に2年連続でオンエアされました(あの紅白歌合戦が終わった後の、Eテレでの放送!)


2017年からはさらに活動の幅を広げ、ドローン撮影のチームの一員や、撮影・編集のスキルを買われてBTS(Behind the Scene / メイキング / 撮影現場の様子を映像でドキュメントすること)としてCM撮影の現場に参加しながら、企画・演出としての依頼も徐々に頂けるようになり、監督業の機会も増えていきました。


様々な案件を受けていく中で、若手である私にここまでチャンスをくださるみなさんに対して多大なる感謝をしつつ、自分自身に対しては、素朴な疑問を抱くようになりました。


「おれは、一体何をしている人なんだろう...?」



映像のつくり手としての、自分のポジションとは...?


映像づくりをしていく中で感じた、自分の見せ方、ポジションが定まっていないという違和感。

例えば自己紹介するとき。あるときは「監督」、別の機会では「カメラマン」、また別の現場では「ドローンチーム」、実績では「出演」のように、自身のポジション、肩書きが都度変わることです。


当時、理想のポジションは「監督」でした。東京藝大で映画をつくっていく中で、様々な監督のことを知り、「おれもこんな監督たちのように、監督として映画をつくりたい!映像作品をつくって表現していきたい!」と息巻いてたものでした。

しかし、学生時代と違って、生計を立てていけかなければいかない事情もあって、フリーランスで活動するようになってからは、自主制作よりもクライアントワークにウエイトをおくようになっていきました。学生時代は学校の課題制作か、自主制作か、知り合いのプロジェクト参加がメインだったので、依頼を受けて、与件を元につくり、納品し、感謝してもらえる(報酬もいただける)クライアントワークは、何事にも変えがたく、素晴らしく、やりがいのある映像づくりでした。自分では到底思いつかないような面白い企画や、大きな規模での映像づくり。その一員になれることも、刺激的な体験でした。

そんなやりがいもあって、依頼がくれば、スケジュールが被らない限り、基本的には全てお受けしてきました。


また、クライアントワークには、報酬をいただける "仕事" という側面だけでなく、「誰かの役に立ちたい」「依頼してくれる "身近な存在" に貢献したい」「自分では思いつかないようないろんな映像の企画や媒体にトライしたい」という気持ちを満たせる側面もありました。

ただ、その気持ちに正直に行動すればするほど、当初思い描いていた映画・映像のような作品づくりをする監督ではなくなっている気がして、自分という存在、映像のつくり手としての居場所に、葛藤が生じるようになっていたのです。



映像のつくり手として見えた、一筋の光・アメリカの映像界


そんな中で、1つのヒントを得ました。それは、アメリカの映像界です。

そこで活動するつくり手たちは、監督だけでなく、ときにはプロデューサーとして、ときには俳優として、ときには撮影監督として、ときには編集者として、マルチに活動します。また、巨大資本だけでなく、インディーズ企画にも参加し、新しい表現に果敢に挑戦します。さらには、既存のスタジオ発の映画やテレビコンテンツとしてはチャンスに恵まれなかった企画を、YouTubeやNetflixといったシリコンバレー発の新しいメディアを使って制作・配信していくのです。


私は、2016年から、定期的にアメリカに滞在して、映像の視察を行ってきました。これまでの約3年間、5度の滞在、日数で言うとのべ69日間。その中で、ハリウッドの歴史、地域性、上映環境、制作環境(スタジオ)、教育(フィルムスクール)、サンダンス映画祭、そして、それらに付随した北米圏の市場、メディア、エンターテイメント、アート、イベントなどを視てきました。

そこで得た知識、経験、人脈は、日本での活動にも活かされ、視察していなければ絶対にスルーしていたような情報にアンテナを張ることができ、仕入れた情報から価値観が形成され、習慣や行動に落とし込み、自らをアップデートすることができました。

そのプロセスの中で、アメリカの映像界をリファレンスとするようになり、自分の見せ方、ポジションを新しく見いだして、つくり手としてレベルアップしていけるのではと考えるようになりました。


当初はアメリカのフィルム・スクールの大学院への留学、そこからのキャリアアップによって、自身のポジションを獲得しようとしました(アメリカではビジネス・スクールやロー・スクールと同様に、映像を専門としたフィルム・スクールという、学術として認められた分野があります)。

そのために、英語習得や、映像の知識やスキルのレベルアップを図りましたが、日本にいながら、また、仕事をしながら取り組むには限度がありました。留学となると資金面にも壁が立ちはだかり、予想以上に難航。目標設定したスケジュールでは到底間に合いませんでした。


ただ、アメリカの映像界への道を簡単には諦めきれず、定期的に現地(アメリカ、ハリウッド)に赴いて視察し、刺激を受け、最新情報で自身をアップデートしながら、自分の見せ方、ポジションを見つけていく方向にシフトしました。

自身のWEBサイト「heromori.comをつくり、YouTubeチャンネル「HeroMori Studios」で "作品化まではいっていない日々の試行錯誤や習作" を公開し、Instagramのストーリーズ本ブログでの発信にもトライしました。iPhone、GoPro、ジンバルなど、新しいツール特有の映像表現にも挑戦しました。藝大時代からの自身のブランド、研究テーマであるMORIFILM」の新たな企画にも取り組みました。


どれもやっていると面白い。でも、どこかまだしっくりこない。カタチにならない、、

自分の見せ方、ポジションがハッキリしないまま、時間やお金を使う一方でした。


「このままではマズい。どうやったら時間をつくれるだろう。お金をつくれるだろう。表現できるだろう。」


模索していく中で、いつのまにか、映像表現のための手段(メディアやツール)が、活動の目的となっていました。



映像のつくり手としての意識を、ビジネスでアップデートする


転機となったのは2020年の年始。2019年末のロサンゼルス視察で風邪をこじらせ、地元の久留米で体調不良のなか過ごしていたところ、急にあるアイデアが思いついたのです。


「自分で事業を興そう。」


それまで漠然と考えたことはありましたが、経営やマネジメントをやるよりも、表現したい、つくりたいという気持ちが強く、事業、ビジネスというものを強く意識することはありませんでした。

しかし、やりたいことをやるには、お金(資金)や信頼(クレジット)が必要だということを理解していました。現状のように、クライアントワークという枠組みで、ただ待っていて、依頼してくださる方に甘え過ぎていてはダメだと。

私は、新しい見せ方やポジションを見つけようとしていながら、実は、既存のポジション、職業、肩書き(という幻想)にあぐらをかいて 、自ら行動を起こしていなかったのです。


「映画監督」「映像ディレクター」「映像作家」というポジションに対する本気度のなさ。

クライアントワークであれば、もっと自ら動いて、クライアントとなりうる方々に対してアプローチし、必要とされるものを調査し、把握し、自身のアメリカ映像界をリファレンスに、ニーズに合った企画の提案をしにいくくらいの姿勢があっていいところ、ほとんどできていませんでした。

映画や映像の作家(作品のつくり手)であれば、アメリカ映像界をリファレンスにした企画をどんどん開発して、手弁当でもいいので自ら動いて実行していかなければいけないところ、仕事で調整ができない、潤沢な予算を集められないことを言い訳にして、行動していませんでした。

ただ、漠然と、アメリカの映像界をリファレンスに、新しいことをしようともがいて、既に取り組んでいる仕事は仕事だからと、切り分けていたのです。

とにかく甘い。甘すぎる。本気になっていませんでした。


また、年末のロサンゼルス視察では、滞在費を抑えるため、リーズナブルな航空チケットで移動し、リーズナブルな宿泊施設に滞在し、バスや電車移動、自炊を徹底していました。しかし、安さを追求するあまり、時間を余計に掛け過ぎていたり、意識せずともストレスを感じていたりと、"自分" という、最も大切な資本を犠牲にしていることに、体調を崩したことで気が付きました。

やりたいことをやるために時間やお金をセーブするのではなく、やりたいことをやるために、自ら時間やお金をつくりにいく!

そのような考えから、"事業を興す" というアイデアが少しずつ動きはじめました。


まずは、クライアントワーク一本の、"受け身" のフリーランスではなく、個人事業主として、クライアントワークを含め、様々な事業、ビジネスを "自発的に" 行うことを考えました。

受注した案件をこなすだけのポジションでもなければ、案件を仕組み化(アウトソーシング)し、それをマネジメントするだけでもない。クライアント(顧客)も、自己表現も、そしていろんな人とのチーム、コミュニティも、全て自ら生み出し、実現する。つくる環境や体制からつくる。そんな "つくり手" になろうと考えたのです。

私はこれまで映像制作で生計を立ててきました。仕事以外でも、夢中になっているときは全て映像。映画や映像の文脈で物事を考えているような人生です。いまは24時間、365日が映像のことでいっぱい。ですので、"映像のつくり手" として、知識経験を入れて、引き出しを増やし事業やプロジェクトとして発信・シェアしていく。そこでいろんな人々の役に立ち信頼を得て資金を得て、さらに事業やプロジェクトを拡大させ、自分含め、"みんな" に還元していく!


そういったことを踏まえて、


"film" を使ってコンテンツやプロジェクトやコミュニティを "make" する「Filmmaker / フィルムメーカー」として活動することを決意しました!



フィルムメーカー Hero Mori としての、これからの私


フィルムメーカーとして、これまで通りマルチに、企画も演出も、撮影も編集も行い、出演も、新しい映像テクノロジーやツールを使った表現も挑戦し、依頼いただくみなさんに役に立ち、手掛けたコンテンツを観て楽しんでくれる視聴者の方々、お客さんに貢献できるようベストを尽くします。

単なる生計として、自己表現としての映像づくりではなく、「(自身も含め)誰かのために行動する」「新しいことに挑戦してその世界を拓く」「自分の知識、経験を還元する」というところに軸を置きます。


これからは、映像に関する悩み解決・相談事(コンサルティング)、佐賀大や藝大やEテレ制作などで学んできた映像の教育「MORIFILM」「HeroMori Studios」のような、自身の表現スタイルやコンテンツの発信、そして、九州や東京圏や北米など海外を結ぶ映像コミュニティづくりなどにも挑戦したいと考えています!


...とは言ったものの、正直、具体的に向こう5年、10年、30年といった、未来を見据えた計画はありません。いままでそれをやろうとして、計画ばかり立てて行動せず、立てた計画もハードルが高過ぎてスケジュール通りにいかない、完璧主義が転じた "妄想" だけで終わっていました。

ですので、これからは "妄想" を "妄想" で終わらせないために、見切り発車で走りながら、とにかくアクション先行で進んでいって、小さくてもいいので結果を出しながら、少しずつ計画を立てて、さらに "妄想"  を膨らませていこうと思います。妄想は大好き。常に描いています!笑


九州で生まれ育ち、横浜・東京で映像表現する日本人として、世界中の歴史や文化や技術を学びながら、日本の映像界を盛り上げたい、もっと面白くしたい。そして、それを日本市場だけでなく、世界中に発信したい。世界を盛り上げたい。それくらい壮大な夢を描いています。

次回は、私のビジョンに関するお話を、もう少し掘り下げてご説明します。


改めて、フィルムメーカーとしての Hero Mori を、どうぞ、よろしくお願いいたします!

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